スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

マイルーティンではない車の運転の話

今週のお題「マイルーティン」

先日、自分のルーティーンについて書いたので、今度は、その反対について考えてみた。それは、車の運転である。

東京で育った私には、車そのものが縁遠かった。東京都心と近郊には、電車と地下鉄の路線網が張り巡らされていて、移動には車より公共交通機関の方が便利である。ただ、地方で暮らす人たちには、車は生活の必需品だろう。主要路線は別として、採算の取れないローカル線は廃線になっていったし。昔々の子供の頃、田舎にある母の実家の里帰りに付いていったときは、駅から降りてからが遠かった。たぶん一日に何回かしか走らないバスを待って、ガタガタと揺られて行ったものだ。ところが、もうだいぶになるが、親戚が車で迎えに来てくれるようになって、我々にとっては随分と便利になった。田舎の従兄弟などは、通勤にも買い物にも車の生活である。

概して、こちらにいる我々世代の日本人女性は、運転免許を持っていない人が多い。聞いてみると、ほとんどは東京や大阪あるいは他の大都市組で、車を乗りこなしているのは、たいてい地方出身の人たちである。もちろん、年配女性でも例外はある。都会出身で日本で若い頃に免許を取った人たちは、実家が一定裕福で、その上、車好きで活発なタイプだったように拝察する。当時、東京オリンピック前から大阪万博の頃までは、車はまだまだ高級品で、また男性が運転するものだった。たとえば、石原裕次郎主演の映画「憎いあんちきしょう」の中で、浅丘ルリ子が颯爽と車を運転して日本縦断するのが話題になったらしいが、彼女が当時を回顧していた記事を読んだことがある。車のハンドルが重くて大変だったそうだ。あの映画は1962年の作品、車のハンドルにも歴史がある。ところで、日本で車が増えていったのはいつ頃からだろうか。やはり、トヨタ自動車が興隆していった60年代半ばから70年代だろう。日本の高度成長期と重なる。子供の頃見た映像で、今も頭に残っているものがある。それは、輸出のためにずらっと港に並んだトヨタの車たちだ。ものすごい数が印象的だった。そして、子供心に思ったのは、こんなに地球上に車が増えてだいじょうぶだろうか、ということだった。その感覚を今でも覚えている。

そんな私も、ここスイスに暮らすようになって車の運転を覚えた。子供が産まれても免許を取らなかったのだが、夫が入院することになる一騒動で決心をした。ある日、風邪の症状がなかなか治らないので、夫は医者に行った。車の運転がルーティーンとなっている彼は、診療所まで自分で運転して。そして、診療所で倒れて救急車で病院まで運ばれることになる。問題は、駐車してある車だ。私は運転ができない。だから、誰かにウチのガレージまで運んでもらわなけれはならない。近所の人に頼んでウチまで戻してもらったが、その時つくづく、自分も運転しなければと思ったのだ。その時のように、いつも運転している伴侶に何かあった時には、本当に困るわけだ。そして、一念発起、日本から車の本を何冊か買ってきて、まず車の構造理論を勉強。車には全く関心がなかったから、アクセルからブレーキ、ギアチェンのことも何もわからない一からのスタートだ。エンジンブレーキって何のこと?からの話である。それから、「女性のための運転術」なんて本も読んだ。そうやって少しづつ車に目覚めて、免許を取ったのは四十路も過ぎてのことである。

こちらには、自動車教習所というものはない。運転の個人教授や学校を仕事としている人に横に乗ってもらって、最初から路上での練習である。先生でなくとも、免許を取って一定以上の年数が経っている人に助手席に乗ってもらってもいい。全部先生に付いて練習するとお金がかかる。特に、私のように中年になってからの初心者は大変な時間を費やすから。それで、夫に付いてもらって練習を重ねた。夜中に車で15分ほどののスーパーまで走って、そこの大きな駐車場をぐるぐる回ってギアチェンの練習をした。今思えば、あの気の長くない夫が、仕事の後によく付き合ってくれたものだと、感謝の気持ちだ。試験は、理論と実践。理論試験は、スイスだから独仏伊の3ヶ国語はもちろんだが、他にトルコ語やバルカン半島の言葉もあって、選べる。英語もあったろうか?私はドイツ語で受けたが、日本語で基礎知識を入れて、その上でドイツ語での勉強をした。自国語で試験を受けられる人たちは楽だなと思った。

四十路を過ぎて晴れて運転ができるようになったが、それでも、私は公共交通機関利用派である。よほど車でないと不便なとき以外は、あまり使わない。だから、今も車の運転はルーティーンにはならず、永遠の日曜ドライバーである。ただ、車の運転そのものは嫌いじゃない。これは、一つの発見だった。免許を取っておいて良かったと思うのは、家族が病気になったとき。先日も、夫がまだ夜も明けやらぬ頃、身体の不調を訴えて緊急外来に走ったが、つくづく自分が運転できて良かったと思った。マイルーティンならぬとも、役には立つものだ。