スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

大晦日に思うこと

日本はすでに年が明けて2021年が始まりましたね。こちらはあと数時間です。今年は、コロナに始まりコロナに終わりました。世界中が、本当に大変な年でした。ヨーロッパは現在第二波に見舞われており、まだまだ収束の兆しは見えていません。

日本はいかがでしょうか。いずれにしても、2020年がこれからの私たちの暮らし方を変えていくターニングポイントになったとは言えるでしょう。環境を顧みないグローバル化、大量生産大量消費、効率優先で人間性を蔑ろにして邁進する経済優先主義。この道を突き進んでいけば、我々には未来がないかもしれないという予感を、多くの人が感じているのではないかと思います。これから始まる2021年に何が待っているのかわかりませんが、心の中に軸足をしっかり持って過ごしていけたらいいなと思っています。

 年末にいろいろ整理していたら、その昔ある日本人の会に持ち回りで投稿した原稿が目に入ってきました。猫をテーマにして、たしか4人で順番に短いお話を書いたように思います。懐かしくなって読んでみたら、なんと猫のクロが人間社会の成果主義を斜めに眺めている内容。もう随分昔のことで、すっかり忘れていました。時空を超えて綴るつもりのブログ、ちょっと掲載してみたいと思います。

 クロの巻(1)

 「ミケどん、タマくん、虎さん、それではお後を引き継がせていただきやす。

みんな自己紹介をしていたから、ボクもした方がいいのかな。まず、名前はクロです。理由はいたって簡単。黒猫だからね。年齢は自分でもよくわからない。小さい時に捨てられてニャーニャー泣いていた時に、『おやじさん』に見つけられてしばらく世話になったあと、今の飼い主に引き取られた。『おやじさん』ってのは、15歳の長老で孤高の猫、賢人ならぬ賢猫だ。時々エサを持ってくる人達がいて、『フール・オン・ザ・ヒル』って呼んで気にかけてくれているけれど、どこの飼い猫にもならない。ただ、当時のボクみたいな子猫には、やさしい人間の家の暖かい寝床が必要だからって、『おやじさん』は、その中の一人の人に貰われて行けって言ったんだ。ボカア、『おやじさん』のことは尊敬してるし大好きだから、ずっと一緒にいたかったんだけど、ダメだって言われた。でも、いつでも遊びに来ていいぞって。だから、今でも時々会いに行く。どっから仕入れるのか、いろんなことをよく知っていて話してくれるんだ。ま、猫ってのは、人間には見えない聞こえないこともわかるからね。

 今日はこのあいだ聞いてきた話をしてみようかな。なんでも、ここじゃなくて日本っていう所の話らしい。『おやじさん』の耳には時空の制限なんてないみたいなんだ。さて、ある時小さな猫が前足というか、手に大きな怪我をして、あるお家の庭に迷い込んで来たんだそうだ。たまたま、その時縁側で日向ぼっこをしていたその家のおばあさんが、可哀そうに思って、その子の手に薬を塗ってやって、おまけにそいつが猫の習性で薬を舐めないように、手袋を縫って履かしてやった。そして、毎日世話をしてやってるうちに、そのひどい傷も治ったんだって。よその猫に毎日そんな世話をしてやるなんて、手間暇かかってなかなかできないことだよって。今は人間たちはみんな忙しそうにしているからね。でも、そのおばあさんは、近ごろ急にコーキコーレイシャとか呼ばれるようになって、なんだか肩身の狭い思いをさせられているらしい。『おやじさん』が言うには、ええと、何て言ってたっけ、ああそうだ、セイカシュギだとかコウリツだとかいう言葉が幅を利かせていて、ご隠居さんとかの、ただそこに居てくれるだけでほっとする、言ってみれば、人徳みたいなもんの有り難味ってのは忘れられているんだって。ボカア、難しい言葉は、そうだ、セイカシュギだっけ?よく意味がわからないけど。目に見えるものばかりに価値があるわけじゃあないよってのが、『おやじさん』の考えだ。ボカア何にもしてないけれど、飼い主さんは「猫は癒しだ」なんて、よく撫でてくれる。ま、人間の勝手な都合で捨てられちゃう猫もいるんだから、可愛がってもらっているボクは恵まれているんだろうが。『おやじさん』の話を聞いて、「おまえはどれだけ稼げるのか」なんてことで評価されないだけ、猫でよかったなあって思った。また『おやじさん』の所に遊びに行くつもりだ。ひとの話を聞くのは面白いし勉強になる。今度のミケどんの話も楽しみだなあ。」

お話は、あと二話ありますが、長くなるのでまたの機会に。

それでは、新しい年の皆さまのご健康とお幸せをお祈り申し上げます。

2021年正月 スイスの山里より

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