スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

コロナ規制下、ロカルノ訪問で思ったことあれこれ

コロナ禍が広がって以来、初めての遠出をした。ロカルノで親戚の告別式があったのだ。スイスでは、隣国フランスなどとは違って、移動の制限はない。

コロナで、告別式も列席者の数は制限されている。こちらに来てから、お葬式には幾度も列席したが、そういう事情で一番寂しい式だった。この国では、一般的に告別式は教会で行われる。だいたいパイプオルガンの演奏から始まって、牧師あるいは神父さんの話、故人を偲ぶ言葉、賛美歌、祈りなどの内容で、およそ1時間で式は終わる。その後、招待された人たちは、レストランなどで会食をすることになるが、教会の式自体には、故人にお別れを告げたい人は誰でも参列することができる。新聞に死亡告知と式の案内が出されるから。けれども、今はコロナのために、事前に喪主から連絡があって出欠の知らせをする。簡素ではあったが、老齢の親を亡くした遺族の手作り感のある告別式だった。

車で片道3時間以上の行程だったので、1泊2日の予定で出かけた。それで、久々にロカルノの街を散策してみた。店が空いているので、ロカルノ映画祭のオープニング上映のある広場、ピアッツァ・グランデはそれなりに賑わっていた。レストランやカフェバーは閉まっているが、テイクアウトは認められているから、店先に屋台を出して軽食と飲み物を販売しているレストランも多い。ホテルは開いているので、宿泊客に限ってはホテル内のレストランを利用できる。街には、外国からの観光客はほとんど見られなかった。コロナ前には、スイスの観光地は中国人やインド人などのグループ客で賑わっていた。ルツェルンなどの有名観光地は、とくに中国人観光客で文字通り溢れかえっていたものだ。その昔は日本人のグループが多かったが、今はほとんど見られなくなった。団体旅行は為尽くして、個人旅行の時代に移ったということかもしれない。たぶん、理由は一つではないだろうが。いっとき、ロシア人観光客が目立った時期もあった。ある意味で、観光動態にその国の経済力の移り変わりが見られて興味深い。経済力といえば、チューリッヒのある博物館のカフェテリアには、チューリッヒ時間、ニューヨーク時間、東京時間の三つの時計があったが、いつの間にか東京から北京に変わっていた記憶がある。今もまだ時計そのものがあるのかどうかは、久しく訪ねていないのでわからない。

それにしても、ヨーロッパ各国の観光地は静かになっている。一時はちょっと異常なくらいだったから、昔に戻ったという感じだろうか。4年か5年くらい前だったか、何十年ぶりかでベニスを訪ねて肝を潰したことがある。サン・マルコ広場が中国人の団体観光客でビッシリと埋まっていたのだ。それも、ごくラフでカラフルな色合いの格好の人が多かったので、まるで広場に原色の絨毯が敷き詰められたかのような光景。その様とイタリア建築の色合いとの間の大きなギャップには、どうしてもしっくり来ないものがあった。その昔、初めて訪ねた時には広場もゆったりしていて、シックな装いの人々がエスプレッソを片手に話している雰囲気に旅情を感じたものだった。まさに、キャサリーン・ヘプバーンのアメリカ映画「旅情」で描かれていたような街角に、これぞベニスと感激した。もう一度行ってみたいと思ったのは、そのイメージがあったからだ。だが、数年前に訪ねた時には、運河の橋の其処此処にも観光客が溢れていて様変わりしていた。ところで、去年のロックダウンの時には、人が減ってベニスの運河の水がキレイになったと話題になっていたっけ。

何でも度が過ぎると問題が起こる。コロナ前だが、バルセロナでも増えすぎた観光客による「観光公害」に住民の反発が広がった。まず、航空運賃が安くなりすぎて、バスを利用するような気軽さで飛行機が利用されるようになったことも、人の移動に拍車がかかった理由の一つだろう。昔は、遠くに旅するということは、何よりお金もかかったので敷居も高く、人々はそれだけの準備をして旅に出た。訪問先の習慣や文化も事前に勉強してから出発した人も多かったろう。たとえば、外国人にとって日本はそういう国だった。高い文化を持つ憧れの国として、皆それ相応にリスペクトをもって出かけた、と思う。それが、円が安くなって、またインバウンドを当てにして外国人観光客の受け入れに国を挙げて突入した結果、日本文化に何の関心や理解もない人たちも、ただ、まだ行っていないアジアの国だし、安いからちょっと覗いてみようかと旅行するようになった。その変化は、周りを見回して身をもって感じたことだ。

コロナのロックダウンで人の往来が減り、特に飛行機がほとんど飛ばなくなった時には、これを機に発想の転換が起きて、環境問題の改善につながるのではないかとも言われた。さあ、世界はこれからどうなっていくのだろうか。コロナ後の時代がどうなるのか、いろいろな面でまだまだ先が見えない。振り返って、良き方向への転換の時期だったとなればいいが。

 

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