スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

海外の寿司話

今週のお題「寿司」

こちらでも、和食がブームになって久しい。チューリッヒのような大きな街には、日本食レストランがかなりある。この、「かなり」というのは、昔に比べての私の感覚。パリやロンドン、デュッセルドルフと比べてはいけない。

1980年代半ばまでは、スイスで一番大きい街チューリッヒでも、2軒くらいしかなかった。一般のスイス人には、寿司や刺身はエキゾチックな食べ物だった。日本通は別として、普通の人は、え?生の魚を食べるの?という感じ。それが、今はどうだろう。SUSHIは和食を代表するくらいになって、回転寿司まである。ただ、チェーンの回転寿司店は、一皿の値段は高いし、たいてい機械で握っているから、日本の人はほとんど行かない。こちらの日本人の友達同士が連れ立って行くのは、もっぱら日本の板前さんがいるお店だ。主婦も家庭でお寿司を作るが、本格的な握りはちょっと難しいので。

来たばかりの頃、パリに行った時には、必ずお寿司屋さんを探したものだ。当時、色々な意味で日本は遠かったので、手の届かない故郷の味が恋しくなることもあった。なにしろ航空運賃が高かったから、そうそう帰るわけにもいかなかったのだ。唯一、団体料金形式のチケットを扱っていた欧日協会という旅行社でも、往復2500フラン以上はしたと思う。円高になる前だったから、日本円にして27.8万の感覚だろうか。それも、42日以内に戻ってくることが条件。そんなわけで、日本街があっていろいろ和食が食べられるパリは、距離的には東京から京都くらいまでだから、行きやすかった。

ちょっと寿司の話からはそれるが、しばらくは日本航空の飛行機もチューリッヒに立ち寄っていたことがある。いつからいつまでだっただろうか。たぶん、バブルで日本の会社が大挙してチューリッヒに支社を置いていた時代だったろう。まだ、アンカレッジを経由してのフライトだった。日本航空の機内に一歩入ると、そこはもう日本の雰囲気。日本人ステュワーデスさんたち(当時はまだそう呼んでいた)の感じのいい微笑み。機内では、日本から搭載してきた「おはよう日本」の映像が流される。当時は、飛行機の中に幾つかのスクリーンがあって、乗客はみんな同じ番組を見たものだった。そして、食事の後は一斉に映画上映。今は、前の座席の後ろにそれぞれ画面が付いていて、乗客が思い思いの番組を選んで見ている。隔世の感とは、まさにこのことだ。

さて、この寿司ブーム、嬉しい反面、ちょっと考えてしまうところもある。世界的なブームは、魚の乱獲を増やしてしまうのではないか、とか。もともと日本でも、1980年代の始め頃は、まだ回転寿司はなかったように思う。握り寿司は、ある意味高級品で、そうそういつも食べるものではなかった。ましてや、子供が食べるものという発想はなかったように記憶している。その代わり子供達は、母親の作る稲荷ずしや海苔巻き、錦糸卵がのっているちらし寿司がご馳走で、晴れの日の楽しみだった。

ところで、我が家では、大勢のお客さんを呼ぶ時は、ビュッフェ形式にしている。メニューの中に、自分で工夫した巻き寿司と稲荷寿司も入れるが、なかなか好評である。握りは、新鮮な魚と、それを見る目が要るので、私には敷居が高い。それこそ、たまに日本レストランで食べる楽しみとしている。

 

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駅地下にあるチェーン店の看板写真