スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

ああ、デジタルの世の中よ

突然はてなブログにアクセスできなくなって、しばらく更新はおろか、見ることさえできなくなってしまった。私にとって、コンピューターはブラックボックスだ。いろいろ試してはみたけれど、自分の手には負えない。こういった時の頼みの綱は息子だが、彼も忙しくてなかなか時間が取れなかった。この週末、やっと手が空いてみてもらうことができた。どうも、私のコンピューターが古すぎて、今使っているインターネットプロバイダーのアップデートができないのが問題だったらしい。ブログに関しては、とりあえず違うプロバイダーを利用することで、ひとまず一件落着。

それにしても世の中は、もはやほぼ全てデジタル化されてきている。郵便なども封書で来るのは請求書か寄付の依頼くらいだ。年末にはクリスマスカードや年賀状などはあるが、これもだんだんとデジタルカードに取って代わられそうだ。それとも、手作り感を大切にする人たちの間では残っていくだろうか。テレビもデジタルに切り替わって久しい。電車の切符もデジタル入力の自動販売機になり、さらにはスマートフォンのアプリから買う人も増えている。スーパーでの買い物も自分で品物のバーコードをスキャンして支払うやり方が、若い人を中心に多くなってきた。実生活で何気なく人とコミュニケーションを取る機会はどんどん減っていくようだ。効率化といって、無駄が目の敵にされているが、人間はイチゼロで割り切れるものではない。一見無駄なように見えても、円滑な人間関係に役に立っているものはたくさんあると思う。

今の時代、インターネットを介しての交流は増えている。様々なSNSの広がりがそうだ。かく言う私も、いくつか利用している。ツイッターやインスタができてからどのくらいになるだろう。私はしていないが、フェイスブックは中年層に定着していると聞いた。情報を広げたり、案内の告知には便利なようだ。ただ、ツイッターなどは、匿名でも利用できるので、ある意図を持って中傷やフェイク情報を流すためのアカウントもあると聞く。たぶん、当初はすべての人がコミュニケーションできると、ポジティブ面での効用を考えて作られたのだろうが、何でも悪用しようとする人間が出てくるのは残念なことである。

今、音声SNSが隆盛だという。音声での交流は、言ってみればリアルな交流だ。声は耳に直接波動を伝える。嘘をつくことが難しい。たとえば、クラブハウスなども、基本的には本名での付き合いだから、発言に気をつけるようになる。とは言え、本来はアーティスト名に限りニックネーム的なものが認められているはずだが、見ていると、ニックネームというか、ちょっと奇妙な名前表示のみの人もいる。抜け道はあるのだろう。前にも書いたが、「2021年私のオンライン元年」と銘打って、今年からクラブハウスを始めた。ナレーション吹き込みの仕事や朗読などもしているので、新しい音声発信の手段に興味を持ったのだ。ラジオのように使うこともできる。可能性のあるコミュニケーションツールではある。ただ、ツイッターやフェイスブックも音声機能を付けたということなので、スタートアップ企業のクラブハウスとしては生き残りのために必死な時期だろう。メッセージやいろいろな新機能が付いてきた。中には、かえって独自性がなくなってしまうのではと思うものもあるが、競争の世の中、利用者を繋ぎ止める、あるいは増やすためにいろいろアイデアを検討しているのだろう。

常に物ごとには両面がある。もし、災害などがあったりして電気が止まれば、コンピューターも動かず、世の中すべての機能が止まってしまう。すべてが通常運転の時は便利かもしれないが、一旦歯車が狂えば、全面的にコンピューターに頼っている社会は脆弱だ。とくに、地震大国である日本は、何かあった時のことが気になる。考えうる対策をしっかり取って、代替手段を用意しておく必要があるだろう。あるいは、すでにそういう備えをしているのだろうか?しかし、あれだけ原発安全神話を振りまいておきながら、それが地震と津波で脆くも崩壊してしまった事例を見ると、備えがあるとはなかなか信用できにくいものがある。運を祈るばかりだ。