スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

インターネット普及の前と後

今週のお題「ビフォーアフター」

ビフォーアフターで思い当たることは、小さなことも含めればいろいろある。しかし、私にとっての最大のものは、インターネット普及の前と後だ。たぶん、これは私だけでなく、一定年齢以上の人にとっては、最大の生活の変化だったと思う。20代くらいまでの若い人たちにとっては、物心ついた時からあったのだから、ビフォーもアフターもないだろう。ビル・ゲイツによるWindows95が世に出た時に生まれた人たちも、もう27歳だ。

「ビル・ゲイツに会った日」という本があった。書評しか読んでいないが、著者はゲイツに実際に会ったわけではない。彼がいかに世界を変えてしまったかを語っている本のようだった。読みたいと思いながらも、当時はまだ電子書籍というものがなかったので、海外にいた私は読みそびれた。その後の変化を経験しただけに、当時の受け止め方に興味を覚える。

とにかく、インターネットは世界を変えた。Windows95が出た時には、普及にはまだまだだったが、98は瞬く間に広がった。とは言え、我が家にコンピューターがやって来たのはまだ少し後のことになる。初めてのコンピューターは、たしかWindows Meだった。あれは、2001年のことだったか。コンピューターは我が家に一台で、私はあまり使っていなかった。インターネットは、初めは電話回線で、その後ISDNになった。そして、2003年に、日本から自分用に富士通のノートパソコンを買ってくることになる。ソフトはWindows XP。メールをするようになったのは、それからだ。周りの知り合いたちはすでにメールの世界で、私は遅ればせながらの参上。我が家はファックスを置かなかったので、それを飛び越えてのメール開始のことは、今でも友達に笑いながら揶揄される思い出話だ。中学生の息子なども、許可を得てから、私のノートパソコンに時々ゲームソフトを入れて使っていた。振り返れば、なんとも長閑な時代だった。

そして、ついにやって来たのがアイフォーン。スマートフォン時代の幕開けである。これこそビフォーアフターの極みで、まさに革命と言ってもいい。瞬く間に普及して、今となってはスマートフォンなしの生活は考えられなくなっている。つまり、世の中のほとんどのことが、それを持っているのを前提として動くようになって来たのだ。便利ではあるけれど、その弊害も目に見えないところで広がっているとは思う。自由なようでいて、本当の「自由」が失われつつある。すべてが「誰か」に筒抜けだということ。いつどこで何をしたかがすべて記録されていて、知らずにコントロールされる時代。SNSの爆発的普及の裏にある若者たちの孤独感。始まりは善意の希望でも、人間の精神が「発明」の本来の意図になかなか追いつかないのは、今までの歴史を見てもわかる。さてさて、この革命的機器が我々を何処に連れていくのか、それはこれから後の歴史が示してくれるだろう。

ともあれ、インターネットで人々は物理的距離を超えて繋がれるようになった。スイスにいながら日本の記事や本が読めたり、フェイスタイムやズームなどで、日本に住んでいる人たちとも顔を見ながら話ができるなんて、昔を思えば夢のようなことだ。これからも益々いろんな機能が増えることだろう。物事には常に光と陰の両面があることを頭の隅に置きながら、新しい時代と付き合っていこう。後戻りはできないのだから、せめて前向きに「便利さ」を利用しながら。

 

メリークリスマス 2022🎄🎄🎄