スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

おせち料理から、いろいろ考えてみたこと

独立した子供が、お正月料理をこちらの友達に一度紹介してみたいと言う。我が家でもお雑煮は毎年作っているが、その他は食材も限られているし、いわゆる伝統的なおせち料理ではなくて自己流アレンジ。でも、この機会に少しは本格的なものに近いのを作ってみようかという気になった。お料理が好きなお友だちに相談して、食材購入などのヒントをもらった。そんなこんなで、おせち料理について考えているところである。

今日はクリスマス。こちらに住んでいると、お正月よりもクリスマスに重点がおかれるようになる。欧米では、何と言ってもクリスマスが一年で一番大きな行事だ。コロナとは言え、やはり人々にとっては、家族で集いお祝いする大切なイベントである。みんなクリスマス前は、クッキーを焼いたりプレゼントの準備をしたりなどで忙しそうだ。学校もクリスマス休暇に入り、子供に合わせて休みを取る人も多い。クリスマスが終わっても祭日の気分は続くが、31日の年越しをシャンペンで祝えば、1月1日はゆっくりする日で、日本のようなお正月の雰囲気はない。そして、3日からは仕事が始まる。特に今年は、クリスマスとその翌日の聖ステファノの日がちょうど土日に重なり、お正月1日、2日も土日になっている。祝日が週末と重なっている年は、勤め人にはあまり得した感はないかもしれない。

日本では、やはりお正月が一番の年中行事だ。私が子供の頃は、お正月にはほとんどのお店が閉まり、東京の街も静かになったものだ。故郷に帰省する人が多かったのだろう。お正月は三が日、お雑煮とおせち料理を食べた。全部大晦日までに準備し終わって、主婦たちにとっては、この三日間は台所仕事から解放される日なのだ。女性たちは、お正月は着物を着る人が多かった。ウチでは父親も着物を来ていた。そういえば、お正月にかぎらず、父は仕事から帰ってくると必ず着物に着替えていたものだ。まるで小津安二郎の映画のようだ。まだまだ昔からの習慣が続いていた時代だった。今から振り返ると、子供たちの生活もけっこう長閑なものだった。そろばんや習字の塾はあったが、学習塾などは一般的ではなかったし、宿題が終われば、小学生たちは外で遊んでいた。1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博があった。その頃から社会の様子もだんだん変わってきたように思う。私の印象では、1970年代の中頃から子供たちの世界にもコマーシャリズムの波が押し寄せてきたような感じがする。

戦後の日本は、アメリカの大きな影響を受けてきた。食生活においてもそうだ。学校給食が始まったが、それは、米と野菜を中心とした日本の伝統的な食事ではなくて、パン食に脱脂粉乳が中心だった。米食よりも、パン食に肉の方が栄養的に優れているなどと、欧米風の食生活が持ち上げられた。今から考えれば、まったく事実に反することだが、実は、これはアメリカの食料戦略でもあったらしい。しだいに、日本人の米の消費量は減っていった。基本としてご飯に味噌汁が当たり前だった日本人の食卓も変化していった。外食産業のアメリカ化に目を向ければ、マクドナルドの日本第1号店ができたのは、今からちょうど50年前の1971年だという。ハンバーガーとコーラが、若者たちに浸透していく。そして、ケンタッキーフライドチキンやミスタードーナツなどの店舗も次々と開店していった。

残念なのは、長い間続けられた減反政策だ。農家は美味しいお米を作るために工夫を凝らし、生産高も上がっていたらしいが、米の生産を減らす政策が取られた。米の消費が減ったからだろうか。だが、これは間違っている。瑞穂の国とも呼ばれる日本が、短絡的に水田を減らす政策をとってどうするのか、と思う。一度荒れてしまった田んぼは、なかなか元に戻らないという。米は、日本文化の中で中心的な役割を果たしている。神道においてもその存在感は大きい。今も、天皇には神道の最高神主として、象徴的な稲作作業の伝統がある。だが、車窓から見える風景は変わっていった。昔は、東北に向かう列車に乗って大宮を過ぎれば、田んぼの景色が広がったものだが、日本の高度成長とともに、徐々に消えていった。

今の日本には、食べ物が溢れているように見える。デパートの地下食料品売り場に行くと、目が眩むようだ。お正月を控え、コンビニでもおせち料理を買うことができるそうだ。お友だちが豪華なおせちの写真を見せてくれた。便利になったものだ。日本にはたくさん美味しいものがあると、こちらの人にも日本食は人気である。海の幸と山の幸を様々に使った料理の数々に魅了される人は多い。日本人の友だちや知り合いにとっても、日本に帰る楽しみの一つは食べ物のようだ。私もそうなのだが、でも、こんなにたくさんの食材はどこから来ているのだろうと考えることがある。

日本の食料自給率は38パーセントだという。ということは、何かの事情で輸入ができなくなったら大変なことになるわけだ。政治家はよく国防の話をするが、国防と言うなら、食糧自給を促す政策を取ることが最大の防衛ではないだろうか。工業製品や他の製品の輸出が盛んでも、それでは食べてはいけない。ましてや、世界的な気候変動で食糧生産への影響が懸念されている今、自国内で何とか食べていけるかどうかが、一番重要な問題になる。どの国も、食糧危機になれば自国が優先だ。食糧は、生物が生きていく上での基本の基だ。国防と言うなら、常に非常の際の対策を考えていなければならないはずだ。米英独仏は農業国でもある。日本だって、政策次第ではそうなれたと思う。だが、戦後の歩みは違ってしまった。スイスも食料自給率は高くない。しかし、他国と地続きだし、外交手腕にも長けている。日本は島国だから、航空海路を絶たれれば、食糧は入って来なくなるだろう。補給を絶たれた、孤立した船舶のようなものだ。遠くから故郷の味を懐かしく思うと同時に、心配にもなる。

まもなく、また新しい年がやってくる。コロナの問題や気候変動の問題、2022年は、どんな年になるだろうか。