スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

お正月も過ぎて思うこと

2022年も通常モードに入った。日本からの年賀状なども配達が落ち着いたころだ。最近は、コロナのせいか少し遅れ気味の感もある。

新聞に目を通しても、コロナ感染についての記事が多い。オミクロン株は感染力が強いというので、警戒されている。だが、重症化は少ないと言われている。特に、ワクチンのブースター接種をしている人たちは、感染しても症状が軽いということだ。このコロナが社会に与えた影響は計りしれない。もう2年になる。パンデミックは、病理学的な問題にとどまらず、社会に大きな打撃を与える。経済活動への影響も非常に大きい。スイスはまだ保障があるので、何とかいけているが、日本はどうなのだろうか。長年のスイス暮らしの後に、事情があっての決断で日本へ帰った友人は、スイスは社会保障がしっかりしている国だったのだなあと思った、と言っていた。こちらに来た頃は、私は、日本は階層差のあまりない、貧富の差の大きくない国だと思っていた。バブル前のことである。

日本の年末年始のニュースを見ると、生活困窮者もずいぶんと増えているようだ。年末年始に、市民グループなどが困っている人向けに炊き出しをしているそうだが、長い列ができているという。ホームレスの人たちだけではなく、子供たちに満足に食べさせられらなくなった若い母親の姿も見られるという。この20数年で進んだ雇用の不安定さが、ギリギリのところでやってきた人たちの足元を掬ったのだろう。

前回のブログで書いたように、これは未来を考えるための昔の話になるわけだが、1990年代から、日本は徐々に変わっていった。そして、決定打は2001年の小泉政権の登場だろう。日本をいわゆる「一億総中流」社会から階層社会へと変えていった小泉竹中構造改革の功罪。「勝ち組負け組」「自己責任」などという言葉がよく聞かれるようになった。当時、建前にせよ「みんなで助け合って社会を良くしていこう」という雰囲気の日本から、こちらの個人主義の社会に来て、ちょっとしたカルチャーショックを受けた私にとっては、これまた、逆のカルチャーショックだった。へえ、あの日本が、と。国民の財産だった郵政事業も民営化、というかプライベート化の方向へ向かった。あの頃叫ばれていた「改革」にどうも納得がいかなくて、 当時作った演歌風の歌がある。

「居酒屋母さん」

1.街が茜に 染まる頃

  今日も駅前 暖簾をかける

  店を開いてもう10年ね

  ガラス戸開けた顔見れば

  お客の気持ち わかるようになった

 

  元気ないわね どうしたの 

  この一杯はあたしの奢り

  冷えた身体をまず暖めて

  演歌歌って泣くもよし

  あたしでよけりゃ 話すもいいさ

 

2.改革ばやり 今の世は

  情け切り捨て ただ急ぎ足

  ここでは時計外していいさ

  変えちゃいけないこともある

  大事なものに 時間などないよ

 

  勝負じゃないんだ 人生は

  勝った負けたは虚しいだけさ

  心の声に耳傾けて

  燃えて生きたいこの命

  そんな思いが グラスに揺れる

 

3.そろそろ街は 眠り色

  今日もありがと 茶碗を洗う

  こんなちっちゃな居酒屋だけど

  鎧預けに来てくれる

  みんなの気持ちが 私の灯り

 

小泉政権誕生の2001年に生まれた人たちが、二十歳も超えてこれから社会に出て行く。この人たちは、今は民営になっている国民のためのサービスが、以前は公営だったことを、身を持っては知らない若者たちだ。公務員も非正規雇用が増えてきたと聞く。公務員の仕事は公共のサービスだから、利潤追求とは関わりないところで存在しなければならないものだ。安定雇用が前提の仕事だと思う。また、貧しい人は自己責任だと考える若者もいるかもしれない。だから自分は頑張らなければ、と。努力することはいい。けれども、個人でできることは知れている。社会の仕組みが個人をサポートするようになっていなければ、必ず行き詰まるだろう。社会には、様々な人たちが共存している。能力的にも様々で、トータルに補い合っているのが持続可能な社会ではないだろうか。これから社会を支えていく若者たちに希望を見たい。いろいろあるが、やはり、一年の初めには「希望」という言葉がふさわしい。