スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

ブログ、デジタル時代の物書きプラットフォーム

特別お題「わたしがブログを書く理由

ブログを始めてから、およそ2年半以上になるだろうか。私のペースは、一応一週間に一度を目安に、フレキシブルに書いているので、記事の数もそれほどではない。振り返れば、2020年暮れのコロナ禍の頃に、デジタル元年と称して始めたのだった。世間でブログというものが広がって20年も経ってからの参画である。それ以前から知り合いでやっている人もけっこういて、始めよう始めようと思いながらも、デジタル初心者だし、けっきょくどのプラットフォームがいいか探したりしているうちに、遅くなってしまった。探しただけあって、はてなブログは初心者にも使いやすい。ただ、一つだけ残念なのは、はてなブログにアカウントを持っている人でなければ、フィードバックができないこと。つまり、スターやコメントである。読者数には反映されないけれど、陰ながら応援してます〜と言ってくれるお友達もいる。

さて、ブログを書く理由ということだった。まずは、書くことが好きだから。そして、昔と違って、今の時代、インターネット上にそれを発表する場所があるということ。一まとまりの文を書こうと思えば、ツイッター、今はXか、それでは短すぎる。それに、ああいったSNSはエッセイには向いていない。私が始めた理由は、エッセイを書きたかったから。日々生きていると、いろいろなことを見聞きして思いが湧く。そんな思いを書き留めておきたかった。12歳の頃から日記は書いていた。日記と言っても、毎日書くわけではないし、記録と言うより、思ったことを綴るもの。とてもプライベートなもので、書くことによって自分で悩みと向き合ったりして、自己セラピーのようなものだ。支離滅裂でも構わない。でも、ブログは、私にとっては、外に向けて意識して書く、一種の文章修行である。人に伝わるように構成を考える必要があるし、文体にも気を配る練習になる。そして、なにより、書いたものを誰かに読んでもらえるという励みがあるわけだ。物書きは皆そうだと思うが、エッセイなどは、引き出しにしまい込んでおくために書くわけではない。文章を通して他者への発信をしている。昔は、本当に一握りの選ばれた人にしか、そういった機会がなかった。逆に言えば、今の時代は身の回りに文章が溢れかえっていて、玉石混交の感はある。けれど、それぞれの人の思いや考えを読むのは興味深い。世の中の多様性に触れることにもなる。

面白いのは、発表する文章にしても、なんというか文体がラフになってきているということ。私が若い頃は、話し言葉と書き言葉には違いがあった。けれど、今は話すように書く人が多いようだ。それも、近しい人と話すような言葉遣いで。この変化は、ブログだけでなく、雑誌を読んでいても感じた。いわゆる流行作家などは、ずいぶん砕けた言い回しでコラムを書いている。当時日本を離れて、日本の雑誌も手に入りにくかった頃、久しぶりにそんな文章を見た時には驚いたものだ。我々、昔日本を出てきた同世代の人間は、今でも話し言葉と書き言葉を分けて使っているようだ。たとえば、会って話すときは「だからさあ」とか砕けて話すのだが、そんな間柄でもメールやワッツアップでさえ、書き言葉となると改まる。やはりデジタル文は、言ってみれば印刷された文みたいなものだから、ちょっと襟を正してしまうのかもしれない。

とにかく、私がブログを書く理由は、書くのが好きだから。湧いてくる思いを書き留めておきたいから。書くという作業は頭の機能を活性化するから。今の時代、文筆家でなくても、ブログというプラットフォームでそれを誰かに読んでもらう機会があるから。と、こんなところだろうか。