スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

映画「Plan 75」がスイスでも上映に

スイスでも、映画「Plan 75」が公開された。評判を聞いて観たいと思っていた映画なので、楽しみにしている。早川千絵監督、賠償智恵子主演で、日本の近未来社会での老人と死について描いているという。そこで描かれた日本では、高齢化が大きな問題になっていて、75歳以上の高齢者には、安楽死を勧める法律が成立する。倍賞千恵子演じる78歳の一人暮らしの女性は、ホテルの清掃員として働いていたが、会社の方針で職を失う。生活に困った彼女の目に、にこやかに安楽死を勧める政府の宣伝が飛び込んでくる。けっして強制ではないのだが、社会の雰囲気が一種の強制に近いものになっているらしい。食べていく手段を奪われた彼女は、Plan 75に申し込む。その先の展開は観てからだ。

昨夜のスイステレビのニュースで、「Plan 75」が紹介されていた。日本の高齢化の問題にも触れながら。実はこの映画、日本で封切られた時から観たいと思っていた。たぶんこちらでも話題になる映画だろうと思い、去年の時点で、ちょっと付き合いのある非欧米系の映画を配給している会社に勧めたことがある。だが、現状での配給は難しい、この監督さんには今後も注目して行きたいが、という返答だった。それは残念、と思っていたところに、こうして特にアジアなどが専門でない他の配給会社が上映に踏み切ったわけである。スイスでも高齢化が進んでいる。この問題は先進国に共通するものだ。だからこそ、ニュースでも話題として取り上げたのだろう。

スイスは、安楽死が認められている数少ない国である。しかし、それは「Plan 75」で描かれている近未来の日本とは全く異なるものだ。代表的なものにEXITという会員組織があるが、希望者は非常に厳格な審理を経てのみ自死が認められる。たとえば、もう回復の見込みがない苦痛を伴うだけの不治の病などが代表的なものだ。そして、あくまでも純粋な本人の意思であることが必須である。こちらは、基本的に個人主義、ここではいい意味でだが、個人の意思が一番に尊重される社会だ。スイスで認められている安楽死は、同調圧力のない社会でこそ成り立つシステムである。

翻って、日本はどうだろうか。個人の意思よりも社会への同調に重きが置かれる空気があるのではないだろうか。だからこそ、昨今話題になっているイエール大学助手の成田なんとかという人の発言は、大いに懸念すべき問題なのだ。高齢者問題の解決は、お年寄りが集団自決することだ、などという発言を聞くと、まずは冗談で言っているのかと思う。しかし、実際に中学生に答えているYouTube番組を見ると、どうもそうではないようだ。IQは高いのかもしれないが、EQはどうなのだろう。一番の問題は、そうやって、こういった考えもあるよね、それもいいよね、という雰囲気が社会の中に浸透していってしまうことだ。そこまで日本社会が病んでしまっているとは思いたくないが。けれども、本質的なことを掘り下げて議論する習慣のない社会は病みやすいものである。映画「Plan 75」の描く近未来の日本社会は、成田氏的な発言の先に待っている社会なのだろうか。