スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

詩集「最後だとわかっていたなら」

従姉妹が亡くなった。今朝、別の従姉妹からメールで連絡をもらう。この3月、久しぶりに3人で会ったところだったのだ。実は、昨年の秋に連絡をくれた従姉妹と会った時、亡くなったその従姉妹が癌を患っていたことを知った。手術も成功して今は元気にしていると聞いて安心したが、彼女が私に会いたがっているという。彼女とは、母のお葬式を最後に、なかなか会う機会もないままに年月が過ぎていた。それで、この春はぜひ会いましょうということになったのだ。3人で神楽坂で落ち合って、古い民家を改造した洒落たレストランで昼食をとった。久しぶりの再会に話が弾んだ。従姉妹同士は祖父母を同じくしているから、いろいろ共通の思い出もある。小さい頃のことや、互いの親や親戚のことなど、初めて聞く話もあった。いや、彼女は年上だったから、小さい頃の年の差は大きく、こちらがうっすらしか知らなかったことも、よく知っていたりした。とても元気で、ボランティアで小学校教員の補助をしたり、生け花仲間といろいろな活動をするなど、エネルギッシュに動いている様子だった。神楽坂は、今も風情のある界隈で、また来年ここで会おうねと約束して別れたのだった。それが、こんなにも急に容体が悪くなって亡くなってしまったなんて。。。こんなことがあるなんて信じられない。あの時、3人とも久しぶりの再会が楽しくて、なんとなく別れ難い思いを残しながらも、また会えることを疑うことなく、またねと手を振って改札口でさよならしたのだ。神のみしか知らないことだったのだが、もしわかっていたなら、あれから2回でも3回でも会って聞きたいことも話したいこともたくさんあったのに。

そんな思いに、今朝「最後だとわかっていたなら」というノーマ・コーネット・マレックさんの詩集を手に取った。この本は、今はスイスから日本に居を移した日本人のお友達にいただいたものだ。彼女はスイスにいる時に癌を患い、それを克服して、今は幸せに暮らしている。病を乗り越えたからこその、彼女の"今"を生きるという前向きな姿勢にはいつも啓発され、背中を押される思いがしている。そんな彼女がプレゼントしてくれたのがこの本だった。帯には、「もし、明日が来ないとしたら、わたしは今日、どんなにあなたを愛しているか伝えたい」と書いてあった。また会える、と思っても、その日はもう来ないかもしれない。思いを残してはいけないのだ。きちんと意識していないと、その時が最後だとはわからないのが人間、それがわかり得るのは神の領域なのだ。だからこそ、この詩集は心に沁みた。