スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

映画「バービー」を観て

思いがけず「バービー」を観ることになった。思いがけずというのは、こうである。映画「オッペンハイマー」を観に行った時の映画館の予告編のひとつが「バービー」だった。その時は、なんだかキッチュな映画という印象で、観に行こうとは思わなかったから。ところがである。ある仏教系ユーテューバーの方の番組で、この映画が紹介されていて、その解釈に興味を惹かれた。映画の中で流れるビリー・ジョエルの「何のために生まれてきたの?」という歌が感動的だったという導入から、その視点での映画内容の紹介だった。へえ、ただのバービー人形のミュージカルかと思っていたら、それを聞くとそうではないらしい。そういうことなら、やはりこの目で確かめなくちゃという気になる。善は急げじゃないけれど、まだ上映しているうちにと、数日前に観に行ってきた。

まず、感想を一言で言うと、面白かった。実は、話題作は取り敢えずチェックする息子に言わせれば、軽いというか薄いということだったが、それならば、息子が評価したアカデミー賞を取った略称「エブエブ」だって、私に言わせれば軽いし、たぶん一番言いたかったであろうメッセージに繋げるまでの、あのカンフーの過度に過激なアクションを見続ける苦痛(私には)に比べれば、「バービー」はダンスシーンもたくさんあって楽かった。「バービー」が伝えようとするメッセージも似てはいる。この映画、アメリカで大ヒットしているという。今、アメリカの人たちは生きる意味を探しているのかもしれない。

映画は、バービーランドに住んでいるバービー人形たちの明るく楽しい生活の様子から始まる。毎日素敵な服を着て楽しいパーティーがあって、人生の憂いなど微塵もない。みんな若くて明るくて元気いっぱい。バービーランドにいるのは、姿形は違ってもみんなバービー。そして、バービーランドを仕切っているのはすべて女性のバービーたちで、男性のケンたちは添え物である。言ってみれば、女の子のバービーにはボーイフレンドが必要だからと後から作られたのが、ケン人形。主役のケン(ライアン・ゴズリング)は主役のバービー(マーゴット・ロビー)が好きなのだが、バービーは友達みんなが好き。プラチナブロンドで筋肉のついた身体、ビーチにいるのが主な役目の彼は、今一つ自分の存在意義が感じられないでいる。ある日、楽しいパーティーで、バービーに異変が起きる。いつものように楽しく歌って踊っている最中に、突然彼女の口から我知らず「死」という言葉が飛び出す。その途端、パーティーの場は凍りついてしまった。バービーはかろうじて「死ぬほど踊って楽しみましょということよ」とその場を取り繕う。でも、それ以来、バービーはもう以前の彼女ではなくなってしまう。もしかしたら人形の持ち主に何かあったのかもしれないと、リアルワールドに原因を探しに行くことになった。ケンも付いていく。そして二人は、リアルワールドの人間たちが、バービーランドの自分達とは全く違う憂いもある生活を送っていることを知る。私には、その中のワンシーンが印象的だった。バービーは公園のベンチでお婆さんの隣に座るのだが、その歳取った姿に感動する。リアルワールドの人間たちは歳を取って、そして死んでいくのだ。バービーは、製作会社のマテル社に連れて行かれたのだが、逃げ出して人形の持ち主だった女性と一緒にバービーランドに戻ってくる。けれども、バービーより先に戻っていたケンは、人間界に倣ってバービーランドを男中心のマッチョな世界に変えてしまっていた。紆余曲折は省くが、結局バービーランドはバービーたちの知恵で元に戻る。一時だけランドを支配したケンを演じるライアン・ゴズリングが、いつも添え物でしかなかったケンの悲哀をよく出していた。最後、マーゴット・ロビーのバービーはバービーランドを出て、歳も取るし辛いこともある人間界で暮らす決心をする。

この映画も、観る人によっていろいろな解釈があるだろう。8歳から観られる映画だから、子供たちには、ピンクのお人形の世界がファンタジーいっぱいで、ミュージカル的で、ストーリーも冒険的で面白いかもしれない。また、フェミニズムの観点からの意見を持つ人もいるだろう。私はと言えば、この映画にアメリカ的世界観の変遷を見る思いがした。アメリカンドリームに象徴されるように、アメリカの成功とは、金持ちになること、地位の階段を登っていくこと。物質的に恵まれた生活、悩みなど他の人には露ほども見せず、いつも元気で若々しく、楽しい生活をすること。まさに、バービーランド。1950年代後半、バービーが初めて登場した頃は、アメリカは世界の憧れの国、富と民主主義の象徴だった。それこそ、日本の「一億総中流」じゃないが、厚い中間層が国を支えていた。ところが、今やアメリカには格差や貧困が途方もなく広がっている。正確に言えば、ベトナム戦争あたりからアメリカの凋落は徐々に始まっていた。そして今、アメリカンドリームが象徴する生き方への疑問がさらに広がっている。アメリカ的生き方が限界のある世界観だと気がつき始めた人たち。今、人々はビリー・ジョエルの歌のように、「私たちは何のために生まれてきたの」と問い始めている。物質的な富と満足を追求することだけが幸せなのだろうか。この問いはいつもあったし、精神的な生き方をしてきた人たちは、もちろん今までもアメリカにはいる。けれども、大衆と言われる人たちの中にも、アメリカ的物質文明の価値観への問いが広がっているのだと思う。

主役の二人のキャスティングは成功だったと思う。バービーを演じた女優さんは容姿がいいだけでなく、演技力もある人で、他の作品での活躍も楽しみだ。ケン役の俳優さんが、「ラ・ラ・ランド」の主役の人だというのは、後になるまで気がつかず…。いい役者は、色々な役をこなせるのだなあと思う。とにかく、楽しいエンターテイメント映画でもあった。