スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

今あらためてしみじみ眺める地球の写真

今週のお題「デスクまわり」

テーマを受けて、自分の机の上や周りを見回してみた。まず、机の上を見てみる。目立つのは並ぶ辞書類。外国に暮らして、言葉に関わる仕事や活動をしている身には必須だ。独和辞典、和独辞典、英和辞典、和英辞典。それから、国語辞典に漢和辞典、カタカナ語辞典、アクセント辞典もある。ドンと置かれているのは分厚い広辞苑。今でこそ、電子辞書もあれば、それこそインターネットで何でも調べることもできるが、その昔は、紙の辞書は欠かせないものだった。

日常的にドイツ語の読み書きをせざるをえない環境にいるので、ドイツ語の辞書にはたいへんお世話になった。どれほどページを繰ったろうか、手垢がついて黒ずんでいるし、表紙にはセロハンテープも貼られている。もうだいぶ前になるが、一度日本に帰省した際にさすがに新しいのを買ってきた。だが、やっぱり使い慣れた辞書には愛着があって、何かあればそちらの方に手が伸びる。ありがとう、三修社の独和辞典。机の隣の本棚には、主に仕事関係で参照する本が並んでいる。その他の本は、また別の場所の本棚に並べてある。

机周りの壁には、写真やカードなどを貼っている。子供が小さかった頃の思い出の写真や、気持ちを励ましてくれる言葉や風景のカード。そして、一枚の古い地球の写真。アポロ8号の宇宙飛行士が、月の軌道上から撮った写真だ。これは「地球の出」と呼ばれ、人類の意識に影響を与えた写真と言われているらしい。人類が、自分たちの住む地球の姿を初めて外から見たのだ。当時の雑誌に載ったこの写真を切り抜いて、以来ずっと持ち続けている。今でこそ、宇宙の映像など山ほど見ることができるが、あの写真を初めて見た時は衝撃的だった。自分たちの存在を俯瞰する視点をもたらした映像。壁に貼ってあるので、部屋の一部となって自然と目に入ってくる。だが、今のような状況になって、もう一度じっくりと眺めなおしてみる。カメラ視点に同化して、我々の地球にしみじみ思いを致す。

太陽系の一員として、天の川銀河の中を気の遠くなるような時間の旅を続けている地球。そういうスパンで見れば、つい最近発生した人類だ。その人類は、それからあっという間に繁殖して、我が物顔で地球を乗っ取ってしまった。自然を征服し続けるだけでなく、発生以来、同じ種の仲間同士でも戦争を繰り返している。もちろん、人類は好戦的な種と、一口では括れない。平和的な属性を持った者も多いはずだ。そういう人間たちは、困難が降りかかった時、知恵を絞って共存のための道を探そうとする。資源が限られているなら、どうやってそれを分け合うか、あるいは、技術開発によって解決していくか。そう考えるのは、人類の中の成熟した者たちだ。だが、未熟な者たちは自分だけ生き残ろうとする。使う手段は、脳みそではなく腕力だ。暴力の前には、思考や言葉は成す術もないのか。人間の肉体は、暴力の前には極めて脆い。

だからこそ、その一歩手前に出番となるのが知性と想像力だ。こうやって暴力を振るったらどうなるのかと考える力。他者の痛みに思いを致す感性。自分の思い込みでひた走る狂信の危険性には、どんなに警鐘を鳴らしても鳴らしたりない。人類にとっては、この地球は唯一の生存可能な星である。だから、なんとしても人々が共存する道を考えるしかないのだ。戦争の時代には、この21世紀で終止符を打たなければならない。